
食事介助はエゴではないですか?
食べれなくなったら寿命なのではないですか?
寿命じゃないにしても、誰に頼まれて介助してるのでしょうか?
本当に本人が頼みましたか?
家族の依頼なら家族の意思ではないですか?
食事量を稼ぎたい?
ならそれはサービス提供者のエゴではないですか?
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食事介助は介護サービスです。
それは利用者じゃなく家族の要望で
家族が手続きをし家族がお金を出してます。
なので本人の意思や職員の判断で止めたりできません。

介護サービスとしてはそうですね。
しかしながら近年は誤嚥事故は
訴訟問題にまで発展しており、
もはや食事介助はサービスではなく
理念の問題になってきてるのではありませんか?
サービスなら拒否することも止めることも出来ます。
でも、止めるということは殺すということです。

サービス提供者であるなら
サービスを受ける本人を主体にしなければ
ならないのではないでしょうか?
家族の意志が尊重されるのは違和感ないですか?

本人主体は素晴らしいのですが、
それでも誤嚥などあれば家族から
「施設が悪い」「職員が悪い」とバッシングされます。
違和感はあれど、職員は従うしかないです。

極端な言い方ですが、
クレーム回避が目的に含まれると申されますか?

どの施設も訴訟問題は回避したいでしょう。
どれだけ立派な信念も裁判では通用しません。
クレーム回避に躍起になるのも理解できます。

食事介助は介護サービスって
【食事介助=介護サービス】ってことですよね?
果たしてそうでしょうか?
食事介助が介護サービスなのではなく、
食事介助は介護サービスのごく一部であって、
そのサービスを提供する前提というか基盤、
いや、本質には【本人の今までの生きい方や
人生への価値観を踏まえて、本人がいま望む生活のため】が
あるのではないですか?
そもそも、介護保険上の介護サービスの契約は、
どんな状況であれ【家族ではなく本人との契約】であるはずですが、
その点についてはどうお考えでしょうか?
例えばですが、本人は少しの食事、少量の水分しか望まれず、
勧めたり促したりすると極度に嫌がられたり、
重度の方の場合【口を開けようとされない】状況などがあると思いますが、
そんな状況でも、【家族が望むから、やめられない】のでしょうか?
家族の要望で、家族がお金を払っていたとして、
契約の本質と、介護福祉の本質は【本人主体】であり、
それは揺るがないものだと解釈していますが、
そうではないということなのでしょうか?

誤嚥事故に限らず、現状様々な場面・対応・結果が
訴訟問題に発展しているケースは確かに多いと感じます
そう感じますが、だからこそ
本人の状況・状態を多角的・総合的に判断し、
その結論を家族にしっかり伝える必要があると考えます
また、契約初期および、食事介助に関して
何かしら家族が心配する状況があった時こそ、
専門性や他職種性を活かし、家族に対して適切な説明を
行なうことが必要で、そこを怠るから【訴訟】などといった
馬鹿げたドツボにはまるのではないでしょうか?

『誤嚥などあれば家族から「施設が悪い」「職員が悪い」と
バッシングされます』
『 違和感はあれど、職員は従うしかない』
そんな単純で安易に、家族からバッシングを受けるのでしょうか?
それは単に【本人および家族との人間関係や
信頼関係が築けていない】だけなのではないですか?
違和感があるのに、職員は従うしかないんですか?
僕なら、違和感があったら、
今まで以上にもっと本人や家族と向き合うでしょうし、
その為に他のスタッフとの議論も増やすと思います

確かに訴訟は回避したいものではありますね
ですが、訴訟を回避する方法は、人間関係や信頼関係、
そして本人の状況を説明したり見てもらうことなどで、
事前の段階で心理的に大いに回避できるものだとは思いませんか?
『どれだけ立派な信念も』
そうですね! どれだけ立派な信念があっても、
その信念が本人はもとより家族に伝わっていなければ、
訴訟に発展するかもですね(^_^;)
クレーム回避に躍起になると、
僕はより、新たなクレームや訴訟の起爆剤になると考えます

食事介助の専門性とは何でしょう?
三大介護に挙げられる食事介助ですが、
食事介助を専門に学ぶことはほとんどありません。
事故が多く訴訟問題にまでなる事なのに、
実際は食事介助においては無知なのが現状です。
食べれなくなることは死を意味します。
食事介助が必要になった時点で、
職員も家族もそれは覚悟しておかなくてはなりません。
それでも生きる為に食べることは必要です。
食事介助の尊厳を無視して効率化を図り、
それなのに訴訟問題を恐れる管理職は無責任です。
無責任な管理職の元で無知な職員が介助するのでは、
安心安全とはいえないですね。

介護福祉士が多く学んでいるかという話とは別)
そして、この【専門性】に関するコメントから
以下の考え方については、僕もおおよそ同じ考えです
『訴訟問題を恐れる上司や管理者、
自分たちの存在意義を知らないんでしょう』
そして、介護福祉士などの国家資格たる専門職が、

自分は食事介助を2つに分けて考えてます。
①娯楽(楽しみ)としての食事
②栄養摂取(延命処置としての食事)
①にかんしては必要だと思ってます。
食べることは生きることであり、
食べたいは生きたいにつながります。
しかし②においては疑問があります。
生物界において食べれなくなることは
直接的に死を表します。
食事介助とは自然の摂理に逆らう行為ではあります。
自力摂取が出来なくなった時点で、
それは何時でも誤嚥する危険性が高いということ。
介助者も家族も、それを理解してないことが
近年の誤嚥事故訴訟の原因なのだと思います。

生きるか死ぬか、は私達の思想で生きたいかどうかは本人の意志です。
と、なると①に関しては生きる為にというより
死に向かうまでの猶予をどう過ごすかの意味合いが強くなります。
②に関しては私も食事介助してまで栄養管理して何になるのか?
それこそマニュアルに従う仕事でしかないのでは?と思います

食事介助についてコメントする前に、
【食事】についてコメントします
食事とは生物的には、
生きていく上で必要な栄養素やエネルギーを補給する行為です
そういった生物的視点で考えると、
老衰であれ病気の末期であれ、
殆どの生物が【栄養やエネルギーは必要なはずだけれども、
食事量が極端に減る、また、食事を摂らなくなる】といった
状況が起こります。。
これは人間も同じでしょうね
そして、人間は更に【生きる上での楽しみや充実感】として
食事をする稀有な生き物です
楽しみや充実感が満たされるのであれば、
健康に悪くても暴飲暴食したりもしますし、
逆に、精神的に落ち込んでいる場合など、
何かしらの要因で【食事が楽しくない】状況になると、
過度な拒食に陥る場合もあります
また、何かしらの考えや目的・目標があり、
自分の意思によって食事を食べない
(もしくは暴飲暴食する)場合もありますよね
それら【人間にとっての食事】について、
多角的で個別的に見て理解することから始めないと、
この議題の入り口にも到達できないのではないかって、
僕は思います

熱い議論になります。
ある意味タブーな議題を真剣に討論しています。
その他ご意見コメントでお待ちしています。
後編はこちら

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