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【イベント】「認知症」の告知について【中編】

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運営
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中編になります

 

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アンケートも実施。

すべきかどうか、理由もコメント頂けると幸いです

 

 

「認知症」の告知について【前編】

【イベント】「認知症」の告知について【前編】
認知症の告知はすべきなのか!? まだまだ続きます。

 

 


 

メンバー①
メンバー①

スピリチュアルな話

『人の身体は空蝉なり』という言葉があります。
肉体は魂の器であり、

それは魂が作り出した実体のある幻想だという意味です。
人の身体が空蝉なら、病もまた空蝉だといえます。
つまりは、病とは魂が産み出した幻想であり

自身の肉体と同一であるということです。

まぁ、解りやすく言うと、
『病は気から』『信じるものは救われる』

『鰯の頭も信心から』ということですね
この諺はなかなか馬鹿に出来なくて、

フラシーボ効果という言葉もあり、

それで難病が快方に向かった例もあるそうです。

我々はよく、病と闘う・病気に負けないというような表現をします。
でも病は自身の写し身だとしたら、

闘うとか負けないという表現は正しく無いような気がします。
もちろん病が無いにこしたことはありません。
でも『あなたは病気です』の一言が気力を奪い

病を深刻化させることもあるのです。

 

そんな言葉に、我々は無頓着になりすぎてます。
『人は身体に100人の名医を持っている』
古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉です。
病なって最初に行わないとならないことは、

頭の中を病でいっぱいにしないこと。
笑顔はどんな薬にも勝る特効薬です。

病を治すのは医師の力ではなく、医師の力を越えた力です。
医師の診断や医療を過信する事に疑問はありませんか?
認知症の告知が、本当に本人の為になると、本気で思ってますか?

 

メンバー②
メンバー②

解ります。

 

病院勤務の時、そのようなケースで

医師は『認知症ですね。お薬出しときます。お大事に』くらいで

アフターケアや親身になってという感じではなかったです。

認知症の診断をしたあと、

責任を持って治療に取り組むという姿も見たことがありません。

 

告知を推奨してる方々は、そんな姿を見たことがあるのかなぁ。
告知のあとは福祉や家族に丸投げするのだから、

そんなに告知に拘るのは是なのでしょうか?

 

そもそも、認知症という病名に拘る理由もわかりません。
ありのままを受け入れることは、

周辺症状に対する適切な対応の基本のはずなのに

 

メンバー③
メンバー③

プラシーボ効果ですね。
共感できる部分もあり、そうでもない部分もあり

人の身体は空蝉なり、なるほどですね〜

 

 

 

メンバー④
メンバー④

僕は認知症の告知は、今後絶対条件となると考えますし、

是(必要)だと考えます!

理由ですが、どんな病気でも本人に伝え、

本人に考え判断する余地を持ってもらうという

【権利擁護】の立場から必要だと考えます

そして、【自身が認知症であることを認められる】ための

前提として必要と考えます。。

認知症本人は、

他人よりも自分が一番【何かがオカシイ。日々困る】など、

自分の変化を一番に分かっている存在ですが、

認知症であるという明確な告知がなければ、

自身の状態をより認められず、人前に分からないように隠すという、

“工夫をマイナスに活かす”方向となり、

泥沼化していく流れがあるからです

(とりつくろいや、被害妄想といった状況は、分かりやすい事例ですね)

そして、告知されることによって

自分が認知症であると認められるからこそ、

次の段階【周囲の人に自分が認知症であること伝える】ことができ、

更に”認知症と共に生きる工夫”をされるようになります

周囲の人は、本人のカミングアウトがなければ、

陰愚痴や噂話などで本人にとって

マイナスな状況になりやすいですが、

カミングアウトされると特に日本人の気質として一転、

手助けするようになります

自身が認知症であることを認められ、

それを周囲に伝え、周囲の手助けを得ながら

【認知症の困りごと】に真っ向から向き合い、

生活する工夫をしていきつつ、

地域社会での生活が続けられるため

それらが【認知症であることを伝えること(告知)】が

是(必要)であることと、その大まかな理由です!

認知症本人で活動しておられる【佐藤雅彦】さんが言われた言葉は

核心に触れています

『認知症は不便ではあるけれど、決して不幸ではない』

 

 

 

メンバー⑤
メンバー⑤

認知症の告知は必要だと思います。
色んな種類があり、どれに当てはまるのか?により
治療も症状も違います。
周りからのサポートを受けやすくためにも必要だと思います。

 

 

在宅の方なら本人もですが、

支える家族も認知症について学びながらのサポートになると思います。
それだけでは足りなくなる方が多くなります。

 

地域で支えるためにも発信しなきゃわからないと思うし、

まだまだ偏見もあると思います。

 

 

メンバー⑥
メンバー⑥

認知だからと言って必ずしも治療しなければならないものでも無いし、

本人が困らずに生きていれば認知症を告知しようとしまいと関係ない。

ただ、診断がついていないことで思い悩む人もいる。

わたしが体調を崩した時に原因が分からずに不安だった時より、

病名がついてホッとしたことがあります。

結局は人それぞれ。

 

自分の最期を考えておいた方が良いという世の中の流れだけど、

それは必要ないと思う人もいる。

 

 

メンバー⑦
メンバー⑦

人それぞれでいいと思います。

 

私は認知症になっても聞きたくないと言う人は、

それを家族に伝えておく必要があるのではないでしょうか。

でも本人が聴きたくなったときには伝えて欲しいと言うことも

忘れず付け加えてほしいなと思っています。

 

いかがでしょうか?

 

 

メンバー⑨
メンバー⑨

頭のいい人は根拠やらデータやら並べて

あーだこーだってなりやすいですが、「本人次第」ですね!

 

メンバー⑧
メンバー⑧

ありがとうございます。

 

片麻痺になっても、毎日努力をして克服しようと言う人もいれば、

私は家でおとなしくしているからリハビリはいらないと言う人もいます。
昔からの例えで、馬を水飲み場に連れて行っても、

馬が飲まなければ水を無理矢理飲ませることができないと

言うのと同じです。(馬が例えでごめんなさい)

 

リハビリをやりたくない人に無理やりさせることが

無駄な事と一緒で、聞きたくない人に無理に聞かせる事は、

それはとても難しいことですよね。

 

 

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メンバー⑩
メンバー⑩

 これって、ガンの告知をするかしないかの

議論が巻き起こった30年~25年前に、

同じ議論があったように思います

が、結果的には【告知する】となった背景にはなにがあるのか?

本人が本人の長い人生を生きる上で、

何であれ、その本人が知らないままという状況に対して、

人権、権利的なことが問題視された経緯があったと思います

本人次第という言葉は、もっともらしい言葉ではありますが、

【本人次第】の本質は流動的で、その人の考えや想いは常に変わるもの

そこで問題になってくるのが、

自身が【知らされているのか、知らされていないのか】なのだと考えます

 

 

 

メンバー①
メンバー①

まさしくがんの告知と言っていると私も思っています。

認知症の告知は、当然のように行われるようになっていくのだと

私も思っています。

 

 

メンバー②
メンバー②

がんの話とはまた認知症って事情が違っていて。

がんは治療できる人もいる。

アルツハイマー型認知症は治療できない。

そして、認知症は周りのサポート体制のあるなし、

本人の元々の性格などにより、症状が大きく違う。

認知症への理解も進んでいない。

わたしは誰もが認知症になる時代だと思ってます。

誰もが認知症なら認知症が当たり前。

それなのに告知しないというのはおかしいのですが、

今現在はそこまでサポート体制ができていない。

理解も進んでない。

告知されたくないという選択肢もありだと思う。

 

メンバー③
メンバー③

では、治療できないのであれば、

告知しない方が良いということですか?

僕は治療できるできないに関わらず、

病気の告知(説明)はすべきだと考えています

だって、その病気にかかった人の人生は誰の人生でもない

自分自身の人生じゃないですか

 

 

メンバー④
メンバー④

いやいや、すべては本人次第、ということです。

本人が、知りたくないと言っている人に
わざわざ言わないし、言ってなくても、

そうだろうなという人には言わなくていい。

告知することになったからする、というのは事を急いてませんか?

サポート体制が整えば良いのですが。
いまだに徘徊という言葉を使う方がいる世の中です。

 

 

メンバー⑦
メンバー⑦

僕は普段よく思うのですが、なぜ認知症に関して、

他の病気と比べても、【もともとの性格】が言われるのかという疑問

認知症であれ統合失調症であれ、他の病気であれ、

その人の性格を問題視するということは、

その人の多くのことを否定することにはなりませんか?

だからこそ、告知を受けつつ、本人とサポートする人たちと共に、

今現在進行形で社会へ訴えかけ伝えなきゃならないのではないでしょうか?

今まで多くの難病を社会的に認めさせてきた人たちや団体が、

同じことを繰り返していますが、この数年でやっと、

認知症に関してその動きが活発化してきたところですね

告知されたくないという選択肢を否定はしません
ですが、告知をしないことによる本人への弊害を、

今の日本ではまだまだ説明しきれていないのではと思います

 

すべては本人次第

確かにその通りでしょう

ですが、その前提に在るべきもの、あるべき体制、あるべき価値観、あるべき社会の在り様などがあるのではないでしょうか?

 

メンバー②
メンバー②

始めは聞きたくないと思っていても、

途中で良い意味での心変わりをして、

全てを聞きたいと言う認知症の方がいてもいいじゃないですか。

 

確かに、家族のサポートだけでは大変だし、

その他のサポート体制が整っているとは言い難いです。

だから言わないのではなく、本人に告げるためには

どういうサポート体制を整えなければいけないかと言う

議論に発展していってほしいと思う。

 

治療できるガンも確かにありますが、

発見された段階で末期と言うのもあります。

(末期と言われてから長く生存されている方ももちろんいらっしゃいます)
いろいろな痴呆があり、同じ診断名でも一人一人進行の状況は違います。

ご本人が、聞きたくないと言っている言葉と逆に、

本心では本当のことを知りたがっていると言うことさえあり得ます。

 

それくらい病気の時って精神的にも不安定だし、

気持ちの上で行ったり来たりするものだと思うんです。

一度だけで言うとか言わないとか決めるのではなく、

その時その時の状況を近くで見守っている人が

(できるだけ深く関われる人が)ご本人の意思を汲み取ってあげることが

必要なのだと私は思います。

とても難しい作業だと思いますが。


 

運営
運営

熱い議論になってきました!

まだまだ続きます

 

 

後編へはこちらから

【イベント】「認知症」の告知について【後編】
遂に完結になります。 是非ご意見お待ちしています。

 

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