ついに完結となります!
アンケートも実施。
すべきかどうか、理由もコメント頂けると幸いです
「認知症」の告知について【前編】
「認知症」の告知について【中編】
私は認知症専門の所へ通院してます。
先生ははっきいわれてますね。
その方が、投薬がスムーズになったりもするようです。
先生のフォローも家族さんも介助者も、
皆、歳とると、仕方ない。といわれますよ。
通院ってことは、患者なん認知症まだ軽度なんかね。
今のうち地味かもだけどリハビリしとくといいですよ
私もそう思います。
ラジオ体操とか、体を動かすことがいいみたいですよ。
正直どちらが正しいのか私にはまだわかりません…
記憶を失い、どんどんできないことが増えていくことを自覚し、
なぜこんなことになっているのか、
そんな自分がこの先どうなっていくのか
不安で苦しんでいる方もいらっしゃいます。
一方で他者の認知症の症状を見て
「あの人はおかしい!でも自分はまだ大丈夫よね!」と
言うことで安心される方もいらっしゃいます。
今は認知症が番組でもよく取り上げられるなど、
入居者様の目にも情報は入っているので、
余計にどうして差し上げるのがベストか私も知りたいです
認知症支援の極意は三つ
一つ!優しいコミュニケーションを心掛ける(ユマニチュード)
一つ!人間として捉え病気として捉えない(バリデーション)
一つ!疾患に寄り添うのではなく心細さに寄り添う(ポーナブルケア)
ですね。
我々が迷ったら利用者さんも困惑します。
自信が確信になる理念を一つ、
心の芯に持っておきたいですね
認知症になって始め軽くて
自分認知症自覚してても理解できなくなってくの怖い。
毎日言い慣らしてけば言えるけど意味わかってない言うか理解出来てない。
怖くないですよー全てを忘れて別の生き方しています。
その時、その時を 笑って生きています。
穏やかに 恐怖もない世界にいる事は 幸せです。
逆に 全ての機能奪われて 認知機能が無く
脳は保たれる病気の方が何百倍も 苦しみなんだろうと思います。
と 関わって心残るのは 後者です。
世の中には、難病と言われる病気がいろいろありまして、
私はドクターではないので治療は言えませんが、
予後不良と言われている病気は沢山あります。
本当にそばにいて辛い思いをします。
でも、自分が明日その疾患にならないと言う保証はありません。
今日、おいしいご飯が食べられたならそれはとても幸せなことなんですね。
1日1日を大切に生きなければいけないと思う毎日です
心不全って知ってますか?
実際にはこのような病名はなく、
原因不明の心停止を指す総称です。
認知症も同じで、原因不明の物忘れや不穏行動を指す総称でしかありません。
確かに脳萎縮や脳出血が原因とされてますが、
認知症と言われた人の総てにそれがある訳でも不穏行動があっても
それが無ければ認知症と診断されない訳でもありません。
認知症という病名はあっても、有効な薬や治療法がある訳でもありません。
曖昧な定義で単なる決めつけである認知症を、
あえて真っ先に告知する必要があるのでしょうか?
自分は認知症を2つに分けて考えてます
一つは中核症状で認知症の病気とされる側面で
薬や治療が、そして告知が必要。
もう一つは周辺症状で、薬や治療ではなく周囲の理解と
適切な対応で好転する側面。
認知症の病気ではない側面です。
病気ではないなら、病気だと告知する必要はないのでは?と考えてます。
医師が対応治療するのは病気の側面です。
病気ではない側面まで、医師の診断に依存する現行の認知症支援が、
本当に本人や家族の為になるのか?と疑問に思っています
認知症は病院や医者では治せません。
それは医者自身が一番理解しています。
患者が診察を求めれば、医者は認知症だといわざるをえません。
その後の事に責任を持ってと言われても、困惑するのは医者でしょうね。
僕は【認知症の告知が、本当に本人の為になる】と、
本気で思っています!
ただし同時に、認知症の人を取り巻く環境、
特に人と言う環境も共に、
前向きに歩んでいく必要があるとも思います
また、取り巻く環境が上手く前向きに成らない場合、
その時にこそ、僕ら専門職や認知症本人のグループなどが
活きてくるのだと考えています!
例えば【がん】を例に挙げると、
30年蔵前はがんも告知はタブー視されていましたが、
それが仰る理由も含まれた上だったのではないでしょうか?
そして現在、ガンに関して価値観は変わりました
がんであることをしっかり宣告(説明)することで、
初期から中期は落ち込むのでしょうが、
自身が自身の状況を知ることで前向きに成れることは大いにあります!
それが例え末期で読め幾ばくも無いがんの状況であったとしてもね
環境と共に前向きに進んでいく。
それを支える専門職やグループ。
全くその通りです(*^^*)
でもなぜ?そこに医者の診断や告知が絶対に必要なのでしょうか?
それは、医者の判断を仰がないと前向きに進めない。
活きてくるのは専門職やグループではなく
医者の指示ということになりませんか?
癌に告知がタブーでなくなったのは、
早期発見による治療が確立されたからであり
治療という分野で期待が薄い認知症と並べるのは違うと思われますよ。
その人が認知症かどうか?
それは実は大した問題ではありません。
認知症という言葉や医者の告知に囚われて、
すべてを受け入れられなくなるほうが問題だと考えてます
介護が向き合うのは、周辺症状であり認知症の病気ではない側面です。
でも告知された瞬間から、周辺症状でさえ病気にされてしまいます。
前向きに進んでいくことや専門職やグループを活かすうえで、
大きな足枷にむしろなるのでは?
医者に診察してもらう前段階で、
先に福祉や介護が家族や本人のサポートをかためておいた方が、
医者も対応しやすいのではないかと思います。
その方が、本人も家族も安心します。
周辺症状のサポートがしっかり出来ていれば、
医者も中核症状の治療に専念できます。
告知は『認知症ですね』ではなく、
『脳が萎縮してますね』『脳に出血が見られますね』で
よいと思います。
医者の診断や告知が必要な理由は、
それらは医者にしかできない
【業務独占】があるからです
医師の判断を仰ぐというより、
医師からの明確な診断と告知が無ければ、
僕ら介護福祉職は、根拠を基に本人と話ができませんし、
根拠がないなら、本人の認識も大きく違ってくるでしょう
医師の診断と告知は必要だと思いますが、
その後に関しては決して【医師の指示通り】に動くわけではなく、
医師よりもっと認知症を理解している人たち
(この場合、専門職でない場合も有り)と認知症本人と共に、
本人の考えを優先しながら歩んでいくことになるのだと考えます
「癌に告知がタブーでなくなったのは、早期発見による治療が確立された」
はたしてそうでしょうか?
そういう要因もあるかと思いますが、
現状では末期患者への余命宣告(死の宣告)まで、
告知することが当たり前となっていますし、
その宣告から、余命を充実した時間として過ごす人も多いと聞きます
(相当な葛藤と複雑な心境であることは察しますが)
「 すべてを受け入れられなくなるほうが問題」
それは確かにそうでしょう
「介護が向き合うのは、周辺症状であり認知症の病気ではない側面」
果たしてそうでしょうか?
僕が他の議題で提示した以下の図がありますが、
この図の中で関わるべき箇所は【周辺症状(というストレス症状)】
ではなく、脳障害から直接起こる【中核症状】と【周囲の環境】であるはず!
周辺症状は、既に様々な困りごとを通り越して起こる状況で、
僕らや本人は、その前段階の【中核症状からの困りごと】と
【環境要因】にこそ目を向け、アプローチしなければ【表面的な対応】
【一時的な対応】にしかなりません
その為にも、前提として【認知症の告知】が必要なのです
「 医者に診察してもらう前段階で、先に福祉や介護が家族や本人のサポートをかためておいた方が、医者も対応しやすいのでは」
それもあるかと思いますが、
それはすなわち【卵た先かヒヨコが先か】の堂々巡りの議論になりませか? どちらが先でもいいんじゃないでしょうか?
そして、どちらが先だから本人や家族がより安心できるかも、
どちらとも言えないように思います
「 医者も中核症状の治療に専念」
これに関しては、今の医学でアルツハイマー等の主な認知症原因疾患である【神経変性疾患】では、中核症状の治療はほぼできないと言っても
過言ではないと、僕は考えています。
だって、発症機序も分からず、未だに直接治療できる薬も無いのですから
人は、はっきり告知されないと、想いが曖昧になり迷いが増えると思います。曖昧に言う必要性が、僕にはわかりません。
周辺症状というか、BPSDの方が、
困る症状だし、薬が効くと認識してます。
統合失調症に使われる不安を抑える薬は
かなり有効な方が多い印象です。
中核症状を治す薬は無いので、
早い段階で治療を開始して、
進行を緩やかにするしか無いですよね?
医者からの診断や告知がなくても、
不穏行動を根拠に介護職員が話をすることは可能だと思いますよ?
医者の業務独占の根拠とは認知症かどうか?だけで、
徘徊や暴言の根拠ではないです。
本人や家族の訴えは、『脳が萎縮してる』ではなく
『徘徊や暴言がみられる』なのでは?
認知症の診断や告知が無ければ
それらの対応が出来ないというのは違うと思われます。
自分は介護のチカラを信じてます
周辺症状を抑える薬はまだありません。
認知症の薬は中核症状、特にアルツハイマーのみに有効とされてます。
薬の過剰投与はむしろ認知症の進行を促します。
認知症で最も多いのは、薬や言葉による
治療型薬害型認知症だといわれてます。
認知症は、医者や職員によって作り出されてるのです。
認知症を告知された患者の五年生存率は、
認知症でない人と比べて1/5とされてます。
告知され投薬されたことでMCIが認知症に進行するケースもあります。
それでも告知は必要なのでしょうか?
そもそも、正しく診断、治療された上でのデータなのか甚だ疑問です。
どれだけの医者が正しく診断、治療できているのか。
どこかで前述しましたが、周辺症状やBPSDというものは、
認知症そのもの(脳障害そのもの)から起こる症状ではなく、
普通一般に在る【ストレス反応・ストレス症状】なのです!
(以下画像を参照ください)
薬が効くとのことですが、僕らの生活に照らして考えてみましょう
マキノさんも含めた僕らが、ストレスから怒ったり、
勢い余って人をケガさせたり、その場に居たくないから
他の場所に移動すること、言われる内容に納得できずに
拒否する状況があったとして、普通それを薬で抑えるでしょうか?
治るものなのでしょうか?
ちなみに、統合失調症と認知症は、全く違うものです
そして、統合失調症だとしても、安易に薬でストレス反応を抑え込むことは、客観的結果として【効いた】となっても、本人の本来の感情や意思としては、どうなのでしょう?
「早い段階で治療を開始して、進行を緩やかにする」
多くの人が間違った見識をもっておられますが、
今現在、日本で認可されている認知症進行抑制剤と言われる4剤は、
どれも抜本的な抑制の作用機序ではなく、
あくまで【認知症の脳障害で侵された記憶障害に対し、病気とは全く違う別の角度から記憶力を高める・活性化させる】ような薬です
進行が穏やかになるかどうかの根本的エビデンスはありません
(統計学的な回答離されていますが)
現にフランスでは、昨年4月(だっけ?)より、
この4薬は保険適用外となっていますね
周辺症状を抑える薬、ではなく、
BPSDの困った症状を抑えるために有効な薬はある、
という個人的な印象です。
何というか、医学的にあっているあっていない、
というのは本当に知らないのですが、不安が強くて困っていた方が、
統合失調症に用いられる薬で不安が取り除けて
自宅での生活を続けられたケースをいくつか見てます。
それは認知症に用いる薬ではないから、
正しくないから、間違っていることでしょうか?
認知症薬について、
認知症本人ワーキンググループのメンバーさんに聞いた話ですが、
認知症の薬を飲むと、脳が常時活性化されるようで、
睡眠がとても浅くなって疲れが取れないとのことです
また、脳を活性化する薬ですので、
感情が安易に高まりやすい(易怒性など)の副作用も
結構激し目にありますね
いくら不穏行動を根拠に対応したとしても、
根本的に本人や家族、地域の周囲の人たちが【認知症】である
事実を受け止めなければ、認知症の人たちの根本的な
【社会参加や社会共生】などありえないのではないでしょうか?
何度でも言いますが、徘徊や暴言などは症状ではなく、
単に感情が爆発して起こる反応、僕らと同じ感情の反応でしかありません
そもそも周辺症状に病気的根拠はないのです!!
本人はそれらの症状に対して
自分で【困りごと】とは基本思わないでしょう。
だって感情の問題ですから
家族がそう思うのは分かりますが、家族がそこに拘ると、
解決の出口が見えなくなり、結果として【薬漬け】などになりかねません
確かに、告知が無くとも対応はできますが、
認知症の人の人権や尊厳を考える場合、
根本的考え方がそもそも違ってきてしまっているのです
ちなみにですが、僕も介護福祉という専門職の力を信じていますし、
日常に接する介護福祉職だからこそ、認知症の人と共に、
認知症を【介護問題】ではなく【人権問題】として捉え、
大いに活動してかなければならない存在なのだと考えています
【5年の生存率】については、
いま、認知症本人の方々の間で、大きく問題視されています
というのも近年、オーストラリアやスコットランド、
日本で、自身を認知症と認め、周囲の理解者が居る中で
活動されている人達の多くが、5年以上も元気に講演活動したり、
地域で生活を継続されている事例が多数あります
要するにその【5年の生存率】、他の専門書では
【5年で寝たきりになる】などの医学的事実とされてきたことが
いま、ひっくり返される状況になっているのです
そもそも、今までの【○○年で○○まで進行する】という概念が、
自身が認知症であることを認めることができ、
周囲に伝えることができ、自身で工夫もしながら周囲の手助けを
得られる環境があれば、進行性の認知症であっても
地域で安定して暮らすことができることが、
認知症本人の方々の経験から実証されつつあります
「告知され投薬されたことでMCIが認知症に進行するケース」
これに関しては、今後さらに議論されなければならないことだと思いますが、その為にも、認知症本人たちの力が必要になって来るわけで、
その前提として【認知症の告知と自信での認識】が必要になると考えます
「 そもそも、正しく診断、治療された上でのデータなのか甚だ疑問」
言われる通り、そうでしょうね
だっで今までは、主に医師が客観的に観た症状の状況を基に、
データは作られていますから
これらのデータがもし、認知症本人の主観のデータになったとしたら、
僕は大きくひっくり返る事態にある考えます
それだけ日本および、世界的に見ても、
【認知症】を主観的に考えるスタンスは、脆弱だったのです
だから今更のように、認知症本人の方々から、
【認知症は介護問題ではなく、人権問題だ!】と言われるのでしょう
そのような認知症支援に責任を持てますか?
自分のいう責任とは、医者が軽度認知障害を
認知症と診断したときに『違います‼️』と反論出来るか?という意味です。
それが出来なければ、結局は医者の判断に振り回されるのだと思いますよ。
五年生存率や薬害問題が覆りつつあるのは、
認知症支援が根本から変わりつつあるからです。
でも医者の判断に固執し薬に頼っていては
覆るものも覆らないのではないでしょうか?
病的根拠もなく治療も確立されておらず薬の効果も危うい。
それなのに告知だけ必要なのでしょうか?
医学的根拠が無ければ対応できないのであれば、
それは治療であり支援では無くなります。
「本人が不安で困っているって、よくありますよ?」
確かに在りますが、
それって認知症の根本である【脳障害】から起こるものでしょうか?
不安で困っているのは、脳障害から直接起こる【中核症状】からくる
症状と環境からのストレスで、
その副産物が周辺症状と呼ばれるモノと言う流れ
要するに、不安は認知症・脳障害そのものからくるものではないということ
根本的に困っていることは、【記憶が無い、記憶が曖昧】
【判断や理解がしづらい】【時間や場所が分かりづらい】
【言葉が出にくい】などの中核症状と、
その状況に対する周囲の人の冷ややかな目、異物を見るような目、
そして理解せずに言われる【指摘】なのです
なぜそこまで医者の診断と薬害に縛られ続けるのかが
分からなくなって来ました。
嫌なら薬を飲まなきゃ良い。医者を変えれば良い。
実際に薬が合わなくなったなとご家族、サービス事業所で判断して、
医者を変えて落ち着いた方は沢山いますし、
薬を飲み続けて落ち着いている方もいます。
そして、残念ながら家族がその周辺症状が
自分が引き起こしていることだと気づくより、
本人が納得の上で薬を飲んで不安が取れる方が早いです。
薬を推奨するわけではありませんが、本人が不安で困っているのに、
周りが対処できないのに、不安なままで薬を使わない理由が分かりません。
ただ、落ち着いたからと言って薬をやめることができる医者はいないですが。
病的根拠はあります。
ただ原因が明確になっていないだけですね
治療が確立されていないのは、まさしくそうですね
薬の効果がどれくらいあるのかは、
判断がつかないところです(^_^;)
病気の原因は明確ではなくとも、
脳の萎縮状況などを見れば認知症に関する病気という診断はできます
診断ができるのならば、その診断結果を知る権利が、
本人にはあるはずですし、この問題は別の議題で提示されていた
【看取り】にも通じる同じことだと考えますが、いかがでしょうか?
告知されないということは、自身での判断を否定されるということで、
その人がその人らしく生きていくための人権的状況に
大きく影響するとは思いませんか?
色々言われてきていますが
結果として告知するか?しないか?ですよね
私はしないです。
告知ってその人を認め、
その人に委ねる大事な事だと思います
告知すべきかどうか
それは様々な考えがあり、
とてもデリケートな問題だと思います。
結論は出ませんでしたが、それぞれの考えを元に
判断していく事が大切です。
ベストは尽くしたいですね。
皆さんの想いを
アンケートで答えてみませんか?
理由もコメントで頂けると有難いです!
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