【受ける側の気持ちを考えよう】

集中期間: 4/26~5/3

【経緯】
メンバーからの議題リクエストになります🙇

メンバー皆様の多くは介護医療福祉に従事し
なおかつサービス等を【提供する側】でしょう😊

また中には業界は違えど色々な業態においても
メンバーの方がおられますが、共通して
【提供する側】です。

さて、それ以外の方には少ないですが
【受ける側】がいらっしゃいます😊

今回は【提供する側】として【受ける側の気持ち】を
一度考えてみませんか?
また実際に【受ける側】のリアルなご意見も
聞けると身になりますので是非お聞かせ下さい🙇

【論点】

今回の論点は

1. 提供する側として受ける側の気持ちを考えて業務に
  あたれてますか?
2. 実際にどのような事をされるとうれしいと思いますか?
3. 実際にどのような事をされると嫌と思われますか?

上記について介護医療福祉の領域を問わず
【受ける側】としての気持ちを考え共有して
【提供する側】の向上へつながればと思います😊

是非どんなことでも良いので
多くの学びのご意見宜しくお願い申し上げます🙇

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【現場の悩み】帰宅願望にどう対応する?後編

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運営
運営

後編になります

前編はこちらから

【現場の悩み】帰宅願望にどう対応する?前編
BPSDの一種「帰宅願望」に どのように対応するのが吉ですか?

 


 

メンバー③
メンバー③

認知症に多いのではなく、

帰宅願望は誰にでもあります。
自分だって仕事中に帰りたいと思います
それを口にするかしないかの違いだけです。

それに、口にするのが普通、口にしないのは

本当はおかしいこと。

 

認知症とはホメオスタシスにより

不必要な能力を切り捨て必要な能力を残す生存機能です。
帰りたいけど忖度して言えない。

それは不必要な能力ということだと考えてます

 

 

メンバー⑤
メンバー⑤

帰宅願望認知症の方に携わりある?

フルパワーで帰ろうとする、凄まじいパワー。

 

 

 

メンバー①
メンバー①

そうですね。フルパワーで帰ろうとされる人、

凄まじいパワーを出される人、おられますね

では何故、その人はそのようなパワーが出る(出される)のか、

その理由を考えられたことがありますか?(^^ゞ

 

 

 

メンバー⑥
メンバー⑥

【ホント帰りたい】【どうしても帰りたい】という気持ちが強く、

それがを誰も叶えてくれなければ、力づくでも帰ろうとするでしょうし、

認知症ではない僕らも同じ状況に置かれたら、

相当なチカラが出るでしょうね!

 

 

 

メンバー⑨
メンバー⑨

いろんな状況があると思いますが、

ヘルプマンというヘルパーの男の子が

主人公の漫画でも取り上げられています。

認知症の場合は「家に帰りたいのに帰り方がわからなくなって」

徘徊等の行動に移ってしまうと書かれていました。

ここがどこかわからない、家に帰りたいが道がわからない。

道をききたくてもその方法がわからない。

 

認知症のかたの場合は本人の意思なく

入所させられてしまう場合もありますから、

ふと「家に帰りたい」思いが強く出ることはあるでしょう。

 

漫画の中では、家族が本人に会いにきて、

不穏状態が改善するという描写がありました。

 

質問とずれてしまい申し訳ありませんが、

人それぞれ、帰宅願望の裏の思いはあると思うので

傾聴が良いのではないでしょうか。

 

 

 

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メンバー⑥
メンバー⑥

そもそも【徘徊】という症状や状況は存在しません

あても無くさ迷い歩いているのではなく、

必ず何らかの理由がある【行動・移動】が基本

そうやって移動している最中に、

認知症の中核症状(脳障害から直接起こる症状)の

記憶障害や見当識障害、空間認識障害によって、

今いる場所が分からなくなることがありますが、

これも普通に考えれば【迷子になった状況】ですね

森上さんのコメントを否定するわけではありません

ですが、もうそろそろ【徘徊】や【不穏】という、

客観的に簡易でベンリで、

認知症本人の想いをないがしろにする言葉群の使用を、

専門職だからこそやめにすべきだと考えます

そもそも【不穏】ってどういう状況なのでしょうね?

穏やかならざる状況・・

なら何故その人は穏やかならざる状況になっているのか?

その原因などの方がよっぽど重要なのに、

これらの言葉を使うとそれが極度に見えづらくなって、

単に【不穏で徘徊された】などという、

意味不明な状況で結論付けてしまいがち

また、認知症本人からすれば、

何か思いや理由があって行動したり言葉を発したりしているのに、

それを【不穏や徘徊】などと言われたら腹が立つでしょうね

僕なら腹が立ちますし、現状そのような表現はもう使いません。

認知症の誤解や偏見・レッテル貼りにしかなりませんから

 

 

 

メンバー⑩
メンバー⑩

もちろん、本当にあてもなく彷徨っているわけでは

ないことは知っています。

 

私の職場では、自己帰宅できなくなったかたの

フォローをするときがありますが、

迷子になってしまった経緯を聞くと、

親戚の家に行くつもりだった、

今日はデイに行くから準備した、とか、

帰るつもりが帰り道がわからなくなった、

などちゃんと目的を持って出発していることがわかります。

 

ただ、それを第三者が「迷子徘徊」と

呼んでしまいがちなんですよね。

 

 

メンバー②
メンバー②

僕も含めて、僕らは主家的立場にはなりづらく、

客観的視点で物事を見てしまうのが多くの場合だと思います

ですが、こと、認知症に関しては、

そろそろ【認知症本人の視点】で考え、

【介護問題ではなく、人権問題である】と捉えるべき

【歴史の大きな節目】に来ていると強く感じるのです!

2年前の記事になりますが、

今でもこの【徘徊、使いません】

活動は多くの支持を得てると聴いていますし

そもそも、この活動自体、

認知症本人の意見から始まったものなんですよね(^.^)

要するに、認知症本人の立場から【徘徊】という言葉に

強い違和感があるという事実。

ここを大切にせず、

何を大切にして支援やらケアやら言うのかという話です(^^ゞ

ちなみに、僕もまだまだ勉強不足で、

認知症本人の人とお逢いして話をする際に良く叱られます(苦笑)

 

 

 

 

 

 

「徘徊」使いません 当事者の声踏まえ、見直しの動き:朝日新聞デジタル
 認知症の人が一人で外出したり、道に迷ったりすることを「徘徊(はいかい)」と呼んできた。だが認知症の本人からその呼び方をやめてほしいという声があがり、自治体などで「徘徊」を使わない動きが広がっている。…

 

<認知症本人からの提案(H28年)>

http://gh-japan.net/pr/16/160229.pdf?fbclid=IwAR0bFi9awlMdIEPD2VJ1MHPNXIj2bzibUz7hSaVKEn93vB2uvjBI4yosHTI

 

 

 

 

メンバー⑩
メンバー⑩

・子供にご飯を作り食べさせる。
・お婆さんが1人でいるから心配。
・買い物や用足しをしなきゃない。
・こんなところは嫌だ。
など様々な理由があると思います。

少し話を聞いて
ユニット内を一緒に歩いて、

疲れたら椅子に腰掛けてもらう。
外に一緒に出てみたりすると
中に戻りたい。

ユニット内や施設内から出たい。
不安やストレス
認められたい
必要にされたい
などの気持ちを理解してあげつつ対処方法を考える

 

 

メンバー②
メンバー②

上記の4つの理由、よくありますよね(^^ゞ

ただ、もう少し考えてほしいのは、

その人がその理由に至ったきっかけ!

何故そう思い至られたのかについて

人は言葉や行動(③)となる前段階で、

それをするための思考が巡り(②)ます。

その思考が巡る更に前段階には、

そう思うきっかけとなる【五感への刺激】(①)があります

①腹が減ったから、②何か食べたいと思い、③パンを食べた

①嫌なことを言われたから、②腹が立って、③相手を叩いた

<帰りたいと思うときの例>
①時計の時刻を見て、②夕方だからご飯作らなきゃと思い、

③家に帰ろうとした

①他の人が何処か行くのを見て、②私も帰らなきゃと思い、

③家に帰ろうとした

①何もすることが無く、ただ座っているだけなので、

②ここにいるよりも家に帰って家事をしようと思い、

③家に帰ろうとした

①外に見える子供を見て、

②我が子はどうしてるかなと心配になり、

③家に帰ろうとした

…etc

②の想いや考えに至ると、

多分その先の③行動や言動に対して

どう対応すべきかという対症療法のような状況になるでしょうし、

本人が『帰りたい』としか言わなければ、

【帰宅願望】というレッテルを貼ってしまう可能性があります

本当の理由を探り、本当にその人へのケアを行なうには、

③の五感への刺激にこそ、思考を巡らせる必要があるのです

 

 

 

メンバー⑦
メンバー⑦

うちの利用者、子供小さい子にしてるときある

 

 

 

メンバー②
メンバー②

その人にどのような状況があるから、

そのような想いや考えに至っているのかについて、

考察されたことがありますか

目の前の事象をただ見るだけではなく、

その事象の原因や背景を探り、考えることなどは、

国家資格たる介護福祉士も含めた専門職として、

必要なスタンスでありスキルだと思いますが、

いかがでしょう?(^^ゞ

 

 

 

 

メンバー⑧
メンバー⑧

今日も帰るいって、廊下歩いたりトイレに行ったりしたら

一時期は落ち着く、その方の家族来ても帰ると言ってるけど

うちの施設にいて、帰らせたとこで家族の負担になるし

施設にいた方がいい気がする。

 

利用者さん丸め込まないとさ、

いざ家に帰って転倒して骨折でもしたら大変

 

 

メンバー②
メンバー②

介護福祉士及び介護職は、

特に本人にとってはかけがえのない専門職であり、

自身の支援者なのです(^.^)

何故【廊下を歩いたりトイレに行かれたら、

一時的に落ち着かれるのか?】や、

【家族が来ても帰ると言う】ことが起こるのか、

もっと深くその理由や原因を

探ってみてはいかがでしょう(^^)/

【帰らせてことで家族の負担になるし、

施設に居たほうがいい気がする】というのは、

誰視点の考え方なのでしょう?

本人は【帰る】といっておられることから

【本人視点】ではないですよね?

家に帰って、転倒や骨折したら大変なのでしょうか?

例えば、僕がこの事例の当事者であったとしたら、

転倒や骨折のリスクを恐れるよりも、

家に帰って何かしら思っていた気持ちを満たすことの方が、

僕の人生にとってはとても重要だと思います(^.^)

 

 

 


結論
結論

帰宅願望という症状はない。

何故、そのように家に帰りたいという思いがあるのか

その方の背景等をしっかりとアセスメントする事で

想いを汲み取れるのではないか?

本当に必要な事は「支援者にとっての都合のいい安全」か?

それとも、「対象者の想いを満たす安心」か?

 

運営
運営

皆様にとっての支援とは

どちらにあたりますか?

ご意見お待ちしています。

 

 

 

 

コメントはこちらから

  1. 匿名 より:

    帰りたい、という言葉の裏には「安心したい」という気持ちが大きいと考えます。
    その方が安心しておられるような環境づくりになっているか?を
    OT視点としては考えてしまいます。
    たとえばスタッフがいつも忙しく、誰も発話しないデイルームで
    じっと座らされていたとしたら
    「自分はいったい、なぜここにいるんだろうか?」と不安になるのは当たり前だと思うんです。
    スタッフは常に時間に余裕のないことも多いですが、一緒に作業活動をすることで繋がりや認識が生まれ(いつもの人だ、という)
    その人がいる空間だと、落ち着いておられるなどは良くありました。
    また、馴染みの手作業や その人の役割など、その場に居る「意義」も大事ですよね。
    認知症にかかわらず、誰もが意味のない空間に、じっと座らされるのは苦痛で「かえりたくなる」のではないでしょうか。
     
    「かえりたい」言葉の裏にある気持ちを汲み取り、出来る範囲で満たしてあげるのが良いと思うのです。

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