「死」に対しての発言がある対象者へ
どのように声掛けや対応をしますか?
考えさせない様に気を紛らわせる事に誘導する。
例えばどのようにでしょうか?
時間に余裕が有ればね。
其れも出来るのだけどもね。
場当たり的になるので難しいのですよ。
出来れば専門で付けて貰えれば業務に支障はないのだけどね。
聞いてあげたいけれど聞いてあげれない実情が有ります。
立場にも寄ると思う。
現実オールマイティに出来れば良いのだけどね。
対象者がどういう状態かによりますね。
死は人にとって必ず訪れます。
巷では終活セミナーとかも有り、受けた事有ります。
市の地域福祉課が主催でした。
楽しく受講できました。
僕も利用者さんに対しては軽く流して話題を変えます。
どのような内容か触りでも教えて下さい。
私としては例えば世代交代し、
自分が施設へ入るなら、
その時に終活しておくように考えてます
「一度生を得て滅せぬ者の在るべきか?」
古の人が言う様に誰にでも「死」は必ず訪れる。
「死」の受容に関しては、エリザベス・キュプラ・ロスの言う様に
5段階の順番がある。
いずれ「死」を覚り、受け入れ事になるのだ。
看取りは5回経験ありますが、
受容と言うか、「覚悟を決めた」方はお一人いらっしゃいました。
どのようなこのことがきっかけになったのでしょう?
きっかけはわかりませんが、
亡くなる一週間前から、食事を頑なに受け付けなくなり、
最期の1日前に家族を呼び寄せられ、あれこれ申し送った後、
翌朝眠る様に逝かれました。
憂いの無い、良いお顔でした。
見事な大往生でした。
他にも、当たりのきつかった人が、亡くなる数日前から、
急に優しくなった事もありましたね。
不思議な経験でしたが、忘れられませんね。
人間死期がわかると言いますが
本当なのかもしれませんね
死について、考えてみようと言って、
他の利用者さんも話の輪に入れて討論してみる。
私の場合、
不謹慎ながら「死」について
落語を披露してますよー
いいですね☆
使わせてもらいます
敢えて普通にします。
あっ、言葉は選んでますよ。
敢えて普通とのことでは、
発言の回避にも解決にも繋がらない気がしますが、
やはり繰り返しになりますか?
ならんね~。
だって心の中は覗かれん。
そう見えたりこう見えたりするだけで違うかもしれんし…。
でも希死念慮や自殺念慮、自殺企図・・・
自殺と言っても定義が別れるし、
見抜けない所もある様に思います。
うん、そうだねー。と、返します。
ただし、死にたい願望は自殺を防ぐ意味でも全体共有します。
全体への共有は
確かに事故防止や対応の統一化も図れますね。
そうなると対象が認知症の場合には上手くいきそうですが、
認知症以外の場合では誤魔化しも出来ない気がします。
その辺りは如何でしょうか?
わたしたち、仲間、家族などで向き合っていく。
定義や線引きが難しいことだから全体が疲弊するでしょうから、
医師にも相談するとか。
認知症やウツでない方になら色々な療法試したいけど、
まずはやっぱり受容が大事、かなと思いました。
難しい問題ですよね。
でも希死念慮や自殺念慮、自殺企図。
自殺と言っても定義が別れるし、見抜けない所もある様に思います。
次回に続きます☆
おすすめ書籍はこちら
コメントはこちらから