【自生している果物を食べてしまった事例】

集中期間:  4/13~4/20

【経緯】
実際にあった事例です🙇
対象者:Aさん
年齢:98歳
性別:男性
全体像: 認知症があります。
   既往に脳梗塞があり歩行器で見守りがあれば
   フロア歩行も可能です。
   特別養護老人ホームに新規入居されました。
   入居日は土曜日。相談員の送迎で到着されます。
   私(事例検討者)は当日公休日で翌週出勤の為
   まだ概要しか情報を得ていません。

問題点: 出勤日に初めて会い、挨拶を交わしました。
   歩行器を使って歩かれるAさんの
    散歩に付き添います。
    中庭に到着します。他の入居者もいます。
    他の入居者が一瞬ふらついたので
    目線をAさんから切り
    他の入居者に移してしまいましたが、
    転倒も無く無事であることを確認できたので
    安堵しましたがAさんをふと見ると
    中庭の中央にある柿の木から柿を手に取り、
    一齧りされました。
    すでに食べてしまったAさんは私が止めるのも
    意に介さず二口三口と食べられます。
    Aさんは「昔はよく食べた。
    こうして食べられることは懐かしい」
    とても喜ばれています。
    

    私はどのように対応すべきでしょうか?
    食べてしまった事、その是非も
    併せてご意見下さい。
    
    シチュエーションは似た内容で
    実体験あれば聞きたいです。
    また介護のみならず医療、
    福祉の観点も是非ご意見下さい!🙇

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【イベント】「身体拘束」テーマ⑤

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議題
議題

テーマ⑤
『身体拘束されるのはどんな人?』

 

 

イベントについての詳細はこちら

【まずは一読】ディベートイベント「身体拘束」まとめ~導入~
イベントについてオリエンテーションしています。 まずは一読下さい。

 

テーマ①『施設介護に身体拘束は必要か?』

 

【イベント】「身体拘束」テーマ①前編
『施設介護に身体拘束は必要か?』
【イベント】「身体拘束」テーマ①中編
テーマ①ディベートの続きになります。
【イベント】「身体拘束」テーマ①後編
テーマ①完結編です。 色々考えさせられますが、 皆さんのご意見お待ちしています。

 

テーマ②『身体拘束の問題点とは?利点とは?』

 

【イベント】「身体拘束」テーマ②
『身体拘束の問題点とは?利点とは?』

 

テーマ③
『自分や家族が身体拘束をされたらどう思うか?』

 

【イベント】「身体拘束」テーマ③
テーマ③ 『自分や家族が身体拘束をされたらどう思うか?』

 

テーマ④

『どうすれば介護現場から身体拘束が無くなるのか?』

 

【イベント】「身体拘束」テーマ④
テーマ④『どうすれば介護現場から身体拘束が無くなるのか?』

 

 


 

イベンター
イベンター

「拘束される人の気持ちを考えたら拘束できない」

そんなコメントがありました。
でも身体拘束問題と向き合うには、

その心理に向き合わないわけにはいきません。
なので身体拘束される人の実状及び

身体拘束された人の心理について

コメントお願いします

 

参加者
参加者

怒りしかないと思います。

自ら仕方がないと思える人なら

そもそも拘束までしないわけで。

もちろん無意識での行為の抑制は有っても、

拘束までされなあかんか?て思うのは確かだと思います。

 

その感情の最たるものが不安→混乱→怒りとなるでしょうね

 

参加者
参加者

不随意運動について理解してますか?
シーティングの意味をご存知ですか?

不随意運動を抑制される事によって、

活動が拡がる事について、非医療職はあまりにも不勉強ではありませんか?

抑制=拘束=自由な動きの制限
では無い事もあります。

身体拘束は否定派ですが

私たち非医療職の専門職として医療と対等に

同じテーブルについて議論出来るだけの力量にも

問題があるとは思いませんか?

身体拘束についてはご本人及びご家族が
しない事によるリスクを理解し、

それに対して了承している事がまず必要で、

更に抑制が拘束(行動の自由に対する制限)なのか、

行動の拡がりに対しての必要な支援なのかが、肝だと。

そして、自由という何ものにも侵されてはいけないものは

福祉職として、常に考えなければならないものだと思います。

 

身体拘束は、個人的な曖昧な判断では無く、

ましてやモノそのものに注目するのでは無くて

(ベルトや車椅子用簡易テーブル、その他、

ご本人の姿勢保持や活動拡大目的のモノ)

 

もっと本質的なところで考え続けていきたいと改めて思う、

やっと否定派なのに、自分に反証していて寒いから

皆さま後半もやりましょ?

 

 

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参加者
参加者

シーティングや付随意運動を

例にあげるとあまりに医療に偏った見解になりませんか?

 

介護の目的は生活支援なので、

車椅子より椅子に座って食事してほしいし、

不随意運動の抑制になれば

それは介護ではなく治療になるのでは?

 

介護の拘束と医療の拘束は、

切り分けて考るべきかな

 

参加者
参加者

身体拘束の本質、そのとおりですね。
注目するべきは拘束をするしない・メリットデメリットではなく、

それが利用者さんの苦痛になるかならないかだと思います。

例えば車椅子にベルトでも、押さえ付けられ暴言を吐かれながらと、

説明され理解し優しく諭されでは違います。

 

医療の拘束が前者なら、介護の拘束は後者であるべきですね。

 

参加者
参加者

例えば、食べこぼし(付随意運動)があり

車椅子のまま食事(シーティング)のケース。

 

エプロンは拘束になるとされてますが、

これは付随意運動により窒息する危険を指してます。

 

でもこれは介助者が目を離すことが前提になってますよね。
あとはシーティング(車椅子上で食事)により

食べにくく誤嚥しやすいという問題があります。
これも介助者が目を離すことが前提です。

 

医療(付随意運動、シーティング)と

介護(見守り)はセットでこそ意味があるのではありませんか。

 

参加者
参加者

 客観的な状況では、

【自分ごと】としての感情が沸きづらいと思います

なので、

【自分が以下のような状況であったら、どう思うのか?】について、

皆さん考えてみてください

①自分がしたいこと、行きたいところがあるのに、

ロープでガッチリ縛られて動けなくされている。

もしくは小さなスペース(場)から、

どうやっても出られなくなっている。

それに対して自分の考えは聴いてもらえない

②体が痒くてたまらないのに、

何故か手には厚手の手袋がついていて掻けないし、

その手袋も取れない。そして痒みは収まらない。

それに対して自分の考えは聴いてもらえない

③鼻から得体の知れないチューブが差し込まれており、

ひどい違和感と息苦しさで、何とか外そうとするけれども、

手がうまく使えず、けっして外せない。

それに対して自分の考えは聴いてもらえない

④身体が痒かったり痛かったりして、

自分で何とかその苦痛を和らげようともがいても、

どこからも手が入れられない脱げない服を着せられている。

それに対して自分の考えは聴いてもらえない

⑤何か、薬のようなものを飲まされたと思ったら、

自分の考えや感情が曖昧になって、身体の力は抜け、

思うように考えることができなくなって、

訳も分からずボーっとしてしまい、

そのうち思考できなくなる。

それに対して自分の考えは聴いてもらえない

 

⑥自分が【今すぐしたい】【今すぐ解決してほしい】と

切に願うことを行動に移したり、周囲の人に頼んだりしたら、

『動かないでください』『座ってて!』『待って!』などと

言われて何もできないし、ひどい時は無視される。

それに対して自分の考えは聴いてもらえない

 

 


 

運営
運営

こちらの意見、まだまだ頂けそうです。

皆様なら拘束されたらどんな思いを持ちますか?

コメントお待ちしています。

 

テーマ⑥へ進む

【イベント】「身体拘束」テーマ⑥
イベントがこれで終了になります。 これまでテーマ⑥までお付き合い頂き 有難う御座いました。 引き続きご意見をコメントでお待ちしています。

 

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