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【自死者の心理】死を選択する方の心理について

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議題
議題

『自死者の心理』
死を選択する方の心理について

(自殺・安楽死・尊厳死を含む)

 

皆さんはどう考えていますか?

 

 

 

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【追悼】冥福を祈りますとは?①
ショッキングなニュースでした。 まだ実感が沸かない中でこのような議論が飛び交いました。
【追悼】冥福を祈りますとは?②
我々は精一杯生きなければならない!

 

 


 

メンバー
メンバー

コメントをする前に確認させていただきますが、

自死者の心理に対する評論を求めているのですか?

メンバー
メンバー
個人の考え方捉え方を求めてます。
介護とは生活支援ですが、
自殺補助は介護に含まれると思いますか?

 

メンバー
メンバー

つまり、自分以外の人の心理に対する考え方捉え方ですね?

メンバー
メンバー

自死を選ぶ方の心理を、

介護(生きる事の支援)を担う我々がどう捉え考え向き合っているか?です。

 

メンバー
メンバー
生前の書面による本人の意思確認
(リビング ウィルでしたかね?)が取れていれば、
“回復の見込みが無い”と診断された場合の
『あらゆる延命処置の中止』(を望むこと)は、
認められるべきと思います。
積極的に命を縮める『安楽死』は、(わたしは個人的には苦しむ時間を
短くしてもらいたい派ですが)認められるか否かは難しいだろうとは
思いますね。
『自殺』は、理由の如何を問わず[ダメ、ゼッタイ]です、
個人的に,ここは譲りません。

 

メンバー
メンバー
もちろん今は命の自己選択や自己決定が尊ばれ
リビングウィルも多く普及されています。
しかしリビングウィルを問題視する傾向があるのも事実です。
人の命を紙切れ一枚で決定してよいのか?
リビングウィルが本当に当人の意思だと誰が断言出来るのか?
リビングウィルに書いてない事態が起こったとき、誰がどうはんだするのか?
どう思われますか?

 

メンバー
メンバー
うーむ、浅慮でした。
そこまでは考えてませんでした、すみません。
本人の、延命治療を断りたいという(強い)意思として
遺した書面での『お願い』を、(偽造や捏造の可能性は
たしかに全くゼロではないにせよ)他人がどうのこうの
言うのは 大きなお世話、な気もしますが、どうでしょうか。
書いていない事態の判断ですか、それにも考えが及ばなかったですが、
起こりうるリスクとして『この書面に無い状況下での判断は、
身内の誰某に一任します』と書き添えて、連名のサインと捺印で。

 

メンバー
メンバー
倫理観の問題だと思います。
自殺は肯定されるべきものではないと思いますが、
法律上罪ではありません。
世界では80万人の方が自殺をされ、
日本でも2万人弱の方が亡くなられています。
グリーンランドが世界で最も自殺率が高いですが、
経済的には豊かですが、寒さによるアルコール中毒率が高い事、
日照時間の問題からセロトニンの分泌量が少なくなり、
鬱が発症しやすい事が挙げられ、国民の20%が自殺衝動を
起こすと言われています。
一方発展途上国では自殺率が低いという事もあります。
これは生きる事に精一杯だからとも言われています。
日本においては50代が最も多く、
次いで60代、40代、30代と続きますが、着目すべきは15〜39歳までの
若者の自殺率がワーストであるという点です。
生産性の高い世代が次々に亡くなっていく事は、
国としてとても重大な損失であると思います。
だからと言って先述したように
日本では自殺は悪い事ではあるが罪にはなりません。
ただし自殺幇助は犯罪です。
つまり最終的には自己責任扱いであるといえます。
私は先日別のレスでもお話ししたように、選択の中の一つ、
死を選べる(安楽死や尊厳死という観点)ということは
今後の多死社会においては必要なファクターであると思います。
一方苦しくて救いを求められず、
救いの場を探す事も出来ない方の為に、
何が出来るのかという事も大切であり、各自治体レベルだけでは無く、
民間レベルでの対策拡大も必須であると思います。
人の命が宝である事は何ら変わりはありません。
無駄死にだけはしないように大切に守っていくべきだと思います。

 

メンバー
メンバー
確かに自殺自体は罪には問われませんね。
民主主義において、自己決定権の保護は何より守られるべき事柄です。
自死を罪とすれば、その根底が覆ります。
しかしながら、自殺幇助・自殺教唆・嘱託や承諾など罪になるケースもあり、おっしゃるとおり最終的には自己責任ということになりますね。
しかし自己責任という結論は無責任なのではと感じます。
自己決定である故にいつでも覆すことが出来てこその
自己責任なのではないかと、自分は感じてます。
その為には、自死を願う人の心理、
その本質・真実に目を向けるべきなのではないでしょうか?
当人の言葉や文章がその真実のすべてだと決めつける事は
とても危険だと感じてます。
我々は、その死と言う選択肢の傍らに居るのですから

 

メンバー
メンバー
自己責任は覆す事ができる。
その通りだと思います。
自殺しようと思っていたけど、直前で辞める。
これも自己決定ですよね。
一方そのまま死を選ぶ事も自己決定。
その直前で介入し、留まるように促していくことは、
当事者以外の方がすべき事。
それで留まるかどうか決めるのはやはり自己責任だと思います。
自死を願うに至るまでは複雑なプロセスを経ている為、
安易に留まるかどうかは不明ですが、止めようとする事は必要です。
昨今自死の現場では、止めるどころか、
スマホで撮影する輩が見受けられ、私自身は狂っていると思っています。
物見遊山でいる事は私は罪であり、幇助に繋がっていると思います。

 

 

メンバー
メンバー
自死については、結論に至ってしまったら、
私たちに出来ることは何もない。と思います。
積極的にお手伝いすることは出来ませんが、
お考えを理解しようとはするかもしれません。
結論に至る前であれば、出来ることは多少あるかもしれませんが、
周囲に迷惑が掛からない範囲であれば、死に方を決めるのも自由なのかな。
と私は考えます。
尊厳死や安楽死については、医師との相談になるんでしょうね。
病院によって判断は異なると思われますが、
当事者は延命を望まないことが多いでしょうね。
周囲はそう思わないこともあるでしょうが…。

 

メンバー
メンバー
お伺いしますが、
『当事者は延命を望まない』と考える根拠は何でしょう?
メンバー
メンバー
表現が足りませんでしたね。
設問の通り、尊厳死や安楽死を望む当事者という意味です。
障害のある方、ご高齢の方という意味ではありません。
メンバー
メンバー
はい,お言葉のとおり、
『尊厳死や安楽死を望む当事者が延命を望まない』
と考える根拠という意味です。
言葉で延命を否定しそのまま尊厳死や安楽死を希望したとしても、
それがその人の本心だと、どうして判断することが出来るのでしょう?
死によって、確かに治療の痛みや生きる苦しみから
解放されるのかもしれませんが、それは愛する家族との永遠の別れであり、
まだ生きられる希望を断ち切る事です。
たとえ当人が『死にたい』と口にしたとしても、
それを自己選択自己決定であるとどうして確信できるのでしょうか?
自分はむしろ、そのように追い詰められた状況だからこそ
正しい自己判断が出来なくなってるのでは?と思います。
我々介護職員は生活支援・生きる事の支援の専門家です。
そんな我々だからこそ、尊厳死や安楽死を望む人の
本当の気持ちに寄り添うべきなのでは?と考えてます。
尊厳死や安楽死は確かに自己判断による命の選択肢の一つです。
だからこそ、当人ではない我々はその判断に慎重になるべきだと、
自分は思います
メンバー
メンバー
あまりにも幅がありすぎて、ひとくくりで語ることが難しいですね。
ただ、逆説ではありますが、尊厳死や安楽死において、
自分の死期を知り、延命を望まないと表明していることが、
それが本心ではなく、証明にならない。
と断言するのも危険かと思います。
ご本人が主張しているわけですから、
それが全て間違っているということも証明できないと思います。
愛する家族が…とありますが、例えばご家族が先立たれて、
おひとりになっているケースもあるでしょうし、
そもそも結婚していない場合もあるでしょうし、
家族に相談したくない。という人もいるかもしれません。
私は、ご本人がその結論を出したとき、
そこまでに何を話し合い、どうその人生に関わるか?
が大切であり、考え抜いた結論を変えさせることが重要ではない。
と考えます。
もちろん非常に残念ではありますし、その気持ちはお伝えしますが、
痛みや苦しみ、辛さ、そしてその大切にしている魂は
その当人しか分かりません。
そこに他人が踏み込んでいくことの危険性を感じます。
また、私は生きる事の支援の専門家ではありません。
私は日々の暮らしで困ったことをサポートする、
その困ったことやトラブルを解決して、
その人らしい暮らしを一緒に考え、実現しています。
生きる事の支援というのは、あまりにも幅が大きく、
時と場合によっては傲慢ではないかなと私は感じました。
メンバー
メンバー
自死を考え選ぶ方は、何らかの理由があると思います。
それを引きとどめるには、傾聴したうえで寄り添い、
行政や専門家とともに支えるくらいかと思います。
安楽死や尊厳死を望まれる方は病気や障害を持ち、
生きる希望をなくしたり、認めてもらえないという思いもありますし、
終末期の状態から、疼痛や精神的負担を和らげたいからだと思います。
疼痛軽減(薬ばかりではなく)精神的負担の緩和と死という恐怖や不安などをどのようにしたら良いかを本人や家族を含めて最期まで医療・介護など関わる方で話し合う必要があるのではないでしょうか。
メンバー
メンバー
『オマエ死んだら オレ泣くぞ』
ある都市の恋文コンテストで入選した言葉です。
イジメにより自殺を考えてた女子生徒に男子生徒がかけた言葉で、
その言葉により女子生徒は自殺を思い止まったらしいです.
短いですが、とても心に響く言葉ですね
メンバー
メンバー
本当ですねww
心に響きますね!
そういう風に言ってもらえる人に出会いたいですね。
恋愛だけじゃなくて、誰かに必要にされてるか?に気づくことで
周りから気づかされることだと思います。
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メンバー
メンバー
中々難しい議題ですね・・・
介護、看護、支援、その他我々の関わる業職は言わば
『生』に尽くすものです。
医療はある意味『生』寄りの『死』にも関わります、
ホワイトに近いグレー。
しかし『死』を生業とする職業はそうありません。
自殺補助という言葉の表現にもいろんな意味が見え隠れしています。
ここは一つ、定義して区別すべきかもしれません。
造語になりますが、『自殺』ではなく『死望』もしくは『望死』みたいな
表記でしてみるとスッキリするかもです
(1意見としててすので、ご了承下さい)
そうなると自殺は言わば現実からの逃避、
生を自ら断絶することになると思います。
如何なる理由であれ、生きる事を放棄した、
という意味になるかと思っています。
逆に『望死』は家族、本人による苦しみからの
『開放』にあたるのだと思います。
私としては自殺を補助することは殺人と変わらないと思います。
『望死』の補助はその方や周囲の協力、決定を持った結果であり
尊重されるべきと考えます。
あくまでも一意見であり、
自殺者を『逃げた人』という差別をするつもりではなく、
安楽死等を綺麗事にするつもりもありません・・・。
我々は生きている以上、使命を持って『生きようとしている』方々を
平等に尊重する事が大切なんだ、ということを言いたいでけですので、
厳しいお叱りはご勘弁下さい
メンバー
メンバー
なるほど、『望死』ですか。
これなら、
「自殺は良くない」
「いや自殺も権利だ」
といった、出口の見えない問題と
尊厳死 安楽死これらの考え方に関する
意見交換を、明確に線引きできますね
目から鱗でした
メンバー
メンバー

自死に関して・・

的な意見として社会のつながりや

周りの理解等で解決できる問題ではないかと思っています。

 

自死を選びたくなる気持ちは理解できます。

自分も未遂を何度か繰り返しました。

 

今は死に対する恐怖があり自分の命を絶ちたいという気持ちは薄れました。

もちろん周囲の協力もあります。

自分だけではどうにもならないときに周りに

自分のことを投げかけるだけでも変わるのかもしれないと思います。

 

社会保障に関してももっと充実できる部分はあるのではとも思います。

死なずに済むのであれば死にたくはないと思います。

命は一つしかないから。

 

99の絶望があっても1の希望があればそこに縋ろうとします。

まわり(社会・法的整備・経済的支援等も含む)の協力体制の構築も

必要ではないかと思います

 

安楽死・尊厳死に関して・・

 

これも自死なんですよね。

私は難病にかかってはいません。

白血病とは闘っていますが状態は安定しています。

 

 

治療中は「こんな苦しみには耐えられない」と何度も思いました。

家族や医師・看護師の方に不満を爆発させたこともあります。

死んでしまいたいと思うこともありました。

 

死んでしまいたいと思ったときに「安楽死を」と話し

もし家族や主治医が同意したとして

その瞬間は「苦しみから解放される」と思います。

 

でも人間は自分の考えや感情が変わる動物だと思います。

生きていればまた考え方が変わると思います。

その時に安楽死・尊厳死を選んだことが

果たして正解だったのかなと。

 

社会的な環境整備が必要ではないかなと思います。

医療の進歩を期待するよりも対人援助として

もっと考えていく必要があるのかなと思います。

 

自分にはまだまだ足りませんが。

安楽死・尊厳死を法律で整備するのであれば

今の基準(裁判所が出した基準)では不十分だと思います。

憲法問題にも抵触すると思います。

 

そこまで思い切った議論を進めていく必要があると思います。

殺人罪とは何か

嘱託殺人とは何か・・憲法・民法・民事訴訟法・刑事訴訟法etc

メンバー
メンバー
自殺ではなく自死
自らが死を選んだのではなく、
社会が・環境が・制度が・政治が、その人を追い詰めたのである。
注目すべきは”殺した“という過程ではなく、
“死んだ”という結果なのだ。
弱い当人が死んだのではなく、
死に追いやった社会・環境・制度・政治が弱いのである。
変わらなければならないのは自らを殺した当人なのか?
人を死に追いやった社会環境制度政治が
変わらないとならないのだ!!
彼を殺したのは彼ではない。
社会であり、私なのだ
メンバー
メンバー

話がまとまらなくなりました。

個人的にはものすごく難しい問題です。

何十年もかけて議論してもいい問題だと思っています。

安易に答えを出して賛成反対を言い合うのは怖いです。

メンバー
メンバー

まとまらないのが当たり前です!!

むしろ簡単にまとめたり結論を出したりするべきではありません‼️

 

自分のスタンスは“今日明日ではなく

10年先50年先の介護を考える”ことです。

まさしく、何十年もかけて議論すべき議題だと考えてます

メンバー
メンバー
個人的に、日本が社会的支援や経済的支援、
医療的支援が充分であり個人の意思や希望が尊重された社会であれば、
この命題は議論していく価値が有るかと思います。
しかし、現実は支援は行き届いておらず、
個々人が尊重された社会では有りません(-_-;)
様々な物と向き合われていることが分かる反面、
政治家や評論家が「命の選別」等と人を単なる記号の様に
平気で語る社会です。
なんで、今の段階ではまだ「望死」などについて語る社会でなく
「人を人として、どう尊重すべきか」について語るレベルの
社会ではないでしょうか?
正直、今の政治家には命について向き合って欲しいですね
メンバー
メンバー
自分は介護福祉医療におけるパーフェクトケア
(ゆりかご【誕生】から墓場【死】までのトータルサポート)
を目指してます。
自殺や安楽死に至る想いは、
スピリチュアルペイン(魂の痛み)に分類され、
それは薬や手術で緩和されるものではないし、
福祉で答を導けるものでもありません。
介護とは、人に優しいコミュニケーションだと考えてます。
介護こそが、その死に至る想いに寄り添えるのだと思ってます♪
未だに介護は軽く捉えられてます。
それはまだまだ死が軽く捉えられてるということなのだと、
自分は考えます。
そういう社会を、介護が変えて行ければ良いですね
メンバー
メンバー
配偶者や子供と話し合い、
尊厳死協会に登録するとカードが頂けるそうですよ。
私も生きているのが疲れて来たら、登録しようかなと思います
メンバー
メンバー
人生とはゴールの無いマラソンのようなものです。
皆が皆、汗だくで走りガムシャラにもがいてます。
怖いのです。
立ち止まるのが、怖いのです。
だから走る。走って走って、
倒れ込んだ所【死】をゴールだと思ってしまう。
勇気を出して立ち止まってみてください。
そこには回り道も寄り道もあります。
休憩所だって売店だってあります。
疲れたら座り込んじゃえばいいんです
前だけが人生じゃない
見上げる空だって、素敵な人生なんだよね
メンバー
メンバー
キリストの教えが生活全般の根底にある
国や地域では、「自殺は罪である」という事が
明確な答えとして存在するので、
(最近は必ずしもそうではない、のでしたかね?
でもここではあくまで一般論として、
キリスト教圏=No自殺の前提で話を進めます)
この自殺の是非を問う議論は あまり意味を
為さないものだと認識しておりますが、
(あくまでキリスト教圏での社会通念としてです)
翻って日本は、死後の事について語るのが
タブー視され続けている背景には『神道や仏教や儒教
など 信仰の選択肢の幅が広く 自由な土壌ではあるものの、
ユダヤ教 キリスト教イスラム教のような一神教、つまりは
信仰が人間にとって絶対的なもの、という考え方が浸透しにくい
国家の土壌、ひいては(信仰に対してライトな)国民性であるが故に
生や死に対しての確固たる考え方が定着しにくい国である』
なかなか纏めるのが難しいですが、
この事が、自殺の是非を問いにくい、明確な答えというものが出せない
(出す事が必ずしも好ましいとされない)問題なのではないか、と
(いちクリスチャン立場からは)そう見えるのですが、
如何なものでしょうか。
突いてはいけない核心を突いてしまっていたなら、すみません。
そして自分の考え方を誰に押しつけるつもりも毛頭ありません。
十人十色の考え方があって然るべき課題ですからね。
失礼しました。
メンバー
メンバー
確かに日本人の殆どは信仰を持たない無信教者ですね。
でもその反面、殆どの日本人が
クリスマスにはキリストの誕生を盛大に祝い,
年が明ければ信じてもない神様にわざわざお祈りします
信仰する神様が無くても、
何かにすがりたい想いは万国共通なのですよね
この議題の目的は、答や正解を導くことではありません。
答や正解が出なくても、超高齢社会や多死社会を迎えるうえで、
考える事は重要だしその一歩を踏み出す事は必須なのだと考えます。
確かに考えは十人十色です。
でも言葉や文章にしなければ、それは0人0色でしかありません。
メンバー
メンバー
誰にとっても死は平等。
結果は変えられないとしてもそこに至る過程は
いくらでも変えられると信じます。
…より良く生きたいという強い思いのある人ほど
そう在れない時に、生きている事が辛くなってしまうのかな…と
感じるようになりました。
3つの自死の内、安楽死と尊厳死に関してはたった1人では旅立てない
(寄り添う人が少なからずいるという意味)のが大きな違いとしてあるように
思うのですが、
もう一つに関しては、魔が差すとでもいうか
自分でもギリギリ大丈夫な感じできていても、
ふと、襲われてしまう深い穴な気がします。
生きるとは、に向き合おうとすればするほど思考し悩み支離滅裂になり…。
それでも、考え続ける意味が確かにある課題ですよね…。
支援に携わる人間としても一人の人間としても。
…こっちのREDの方が某所よりも同じ議題のやりとりでも
武装してない感じがするのは気のせいかしら?
大事な投げかけなのにねー

運営
運営

かなり深い話になりましたね。

 

「死」とは何か

 

「生きる意味」とは何か

 

 

大変考えさせられる議題でした。

まだまだご意見お待ちしてます!

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