後編になります!
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利用者が必要(ニーズ)とされる場合は、
必要なのだと考えます(当たり前ですがw )
ただし、外国語や手話の知識や技術を持たない介護職に、
【必要になったからしてね】とはなりませんよね(^^ゞ
必要性が生じた段階で、それらのことに精通している人に
介在してもらうことがまず最初で、
そのような必要性を持った人が長期の利用を希望され、
職場として受けるのであれば、最低限対応できる
知識・技術を、各スタッフに得てもらわなければなりませんね
そうですね。
必要になったら、今日本ではあまり進んでいませんが、
多文化ソーシャルワーカーの方や、
通訳の方等にもご協力して頂く事になるかもしれませんね。
有る程度は必要だと思います。
が、絶対では無い様な気がします。
介護職もいづれ必要かと思い、英語・インドネシア語勉強中でーす
とりあえずですが、人に寄って少し違っていたりしますから、
手話が、広報に載ってありますので、切り抜きしょうかと、
思いましたけどね。口元で読み取るの大変です。
ある程度は英語が話せると便利なのかもしれませんね。
以前、長年外国で暮らしていたかた(日本人)が転入してきて
娘さんも日本語は片言ということがありました。
専門用語を英語で、というのは難しいですが、
本人がどうしたい、というような欲求をじかに言葉で
理解できたらより本人に寄り添えると思います。
マストではないと思いますが…。
普段手話でコミュニケーションをとっているような
聴覚障害のかたはヘルパーさんと手話をするのでしょうか。
手話をできたらスムーズでしょうが、筆記等もできるでしょうから、
こちらもはやりマストではなく、ベターな感じでしょうか。
高齢福祉ではなく、障害福祉であれば、
もう少し必要性が高まるかもしれませんね。
あくまで経験談です。
必要だと感じています
手話も外国語も1言語であり、
言葉である以上独自の文化が背景にあります。
例えある程度言葉が話せても、文化も合わせて知る事を
しないと、ミスコミュニケーションは起こります。
手話も世界共通の表現もあれば、各国の文化や習慣に
関わるものは表現が異なるように、大事なのは、
その言語の文化的背景を理解することでは
ないのかなー…と思ってます。
出来ればそれに越した事は無いんでしょうけど。
なので、手話が第1言語(先天性で幼少期から使っている)なのか
第2言語(中途障がいにより、使い始めた)なのか、
国籍により、母国語と第1外国語
(国の指定する言語が母国語と違う場合の言語)が何で、
主なコミュニケーションは何言語なのか等を知り、
それぞれの文化を理解する必要性はあると考えます。
私は高校で同級生が聴覚障害者でした。
当然手話を学べば彼女のためになると考えましたが
逆効果でした。
読唇術というのがあって幼い頃唇の形で何を言っているのか?
学ぶことが彼女の小学生のときの課題でした。
読唇術を学ばないと聴者が何をはなしているか?
理解できなくなってしまうという観点から
手話を使うことが禁止されていました。
聴者の中で育った彼女は彼女だけが
きこえない環境で育ちました。
だから私が手話を学んで彼女に見せたときは
彼女は泣き出してしまいました。
手話を使うと手を叩かれたと訴えられました。
私は彼女に言ったのはあなたひとりだけ聞こえない環境で
育ったからあなたは苦労してきたの!
ここにいるみんながもし、耳が聞こえなかったら?
私たちは初めてあなたと同じ世界へ行ける
私は耳が聞こえないほうが良かった!私だけ聞こえる。
あなたは聞こえない二人の世界に共通するものがないの?
読唇術も反対向かれたら見えないし、
完璧なコミュニケーションツールではない
聞こえない声で彼女に話しかけることは
彼女の負担感を意識させてしまう!
最初は嫌がっていた彼女が私を手話サークルに誘ってくれた
それから手話を母国語にするひとにも出会った
手話の奥深さと豊かなコミュニケーション。
裏がないストレートな表現が
より深いコミュニケーション言語としての
技術として有効。ただ聴覚障害があったとしても
手話が良いわけでもない。
外国人が歩いていたら日本語で話しかける!
その方が外国人も嬉しそう。
コミュニケーションが大事で手段は何だって構わない
ニコッと笑えば充分泣いてたら?何故?と思うのが
人情でしょうか?
必要だと思います。
障がい者の方々も、いずれは高齢者となり
手話は会話程度に学んでいます。
またいつ?そんな利用者と出会うかも知れない?!
仕事に向き合う姿勢としてスキル向上のため。。
介護士として、同じ日本人とのコミュニケーション
くらいは取れるように。。と…学んでいますが。
ともあれ会話出来る事によって、コミュニティの幅
が広がって楽しくなっています。
英語も話せると世界中にコミュニティが
広げられると思うと…ワクワクしますね。。
が、しかし‥まだ英語は話せません。。
必要だね。
この間徘徊のお婆さんを保護したら、
在日韓国人で、韓国語を喋られて、ちんぷんかんぷんでした。
必要だと思います。
実際に現場で受け入れているので。
障害者福祉の世界では
相手の言語を覚えることは必須事項だと思います。
相手の言語とは非言語コミュニケーションのことです。
重度重複障害者福祉の世界ではこの非言語コミュニケーションを
理解しないと意思決定支援という発想法さえ、
否定されてしまい悲しい想いをしてきました。
泣き方の違いに応えると笑顔になるから答えがわかります。
日常的に表情を見ているとこっちも
表情で答えたり、奇声に聞こえていたことが
急に言語として機能していることに気がつく瞬間に遭遇します。
まさに外国語の法則を理解した瞬間でした。
すると、その法則に従いコミュニケーションすると
こっちが言うことも理解を示し始めます。
奇声としか捉えなければ、それはいつまでたっても奇声ですが
意味があると捉えれば読解することができると
信じて向き合うということが根本的に言語の理解に繋がります。
必ずしも必要だとは思いません(^^)
ただ外国語にしても手話にしてもコミュニケーションの「
手段のひとつ」なので、習得していれば幅は拡がると思います(^^)
その幅をどう捉えるかは、ほぼ単一言語での生活が
成り立ってしまう日本においては、その人次第だと考えます(^^)
対象者の「言葉」は何のか?
そこがまず根幹なのでしょう。
郷に入りては郷に従え、確かにこれにつきますが
環境ではなく、その方の心にこそ従う事。
そこに言葉がついてくるのだと思います。
深い、いい議題でした。
まだまだご意見お待ちしています!!
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