完結編になります。
前編はこちら
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中編はこちら
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平等であるべきだと思います。
平等であるべきだと思われるのですね
では、何故【平等であるべき】だとおもわれるのでしょう?
私は、今は辞めてしまいましたが、
利用者として、日中一時支援で、デイサービスの利用者として
去年の9月まで行ってましたが、
ある職員さんはその方の話に傾聴する形で、
こちらが話そうとすると知らんぷりされる事も多かったから、
一人ずつ顔が違う様に、支援も違いますが、
平等に話しを聞こうとする態度にも問題がある様に思いました。
当事者視点からのご意見だったのですね
今回の議題では【平等・不平等】について議論しておりますが、
当事者としての感じ方や視点は、とても大事だと思いますし、
そこについて僕は、学ぶものがあっても意見はできないとと考えております
その人その人に合わせたり、
平等にしたり、その場その場の状況によりけりですかね
平等にしたり不平等にしたりを
使い分けるということでしょうか?
大きな事や施設でのルールに関しては
平等と言う言葉だから
まどろっこしくなるのでは?
その人それぞれのその方にあった
ケアをすれば良いのでは?どうですか?
介護1の方と介護5の方と接し方が違うように。。
平等という言葉だからまどろっこしくなるのであれば、
何か違う表現・言葉があるでしょうか?
例で挙げられたように、介護度1の人と5の人では、
確かに接し方など違うと思いますが、
その際に例えば、介護度1の人が
介護度5の人への接し方と自分への接し方に
不満を持たれた場合、どうされますか?
平等って何でしょうね?
集団に対してひとりで皆を裁かないと
いけない環境だからそういう話になるんですね?
学校の先生だと思えばいいですね?
勉強遅れてる人には居残りしておしえる。
進んでる人には難しい課題のワークブックを
やってもらって○付けする。
家庭環境悪ければ家まで行って様子を見る。
コミュニケーション苦手な子供にはわかるように説明する。
それぞれの特徴に合わせてその人の望む形を
想像して一人一人の個性に合わせ平等に個別指導をしていくこと
ひとりに対応している間にもう一人は待たされる。
そういうときには一言おしえてくれるといいかも?
今この人はこういう状況だからこういう支援が必要です。
あなたはこういう理由であとで何々してみませんか?と
『平等』『不平等』……
理想は【人類は皆『平等』】
そもそも『平等』『不平等』は誰からの視点なのか?
私は音楽レクを行っていますが……
例えば【マイクで歌う】という行為において……
①自主的にマイクで歌いたい方
②自主的ではなく指名があればマイクで歌う方
③マイクでは歌わないが皆で歌うことは好きな方……
個々で趣味趣向が異なっていて当たり前。
それを理解(把握)し個々で対応していく。
それは私にとっての《平等》
「今日は楽しかった」「今日はマイクが回って来なかった」
……感想全てが皆さまの【次の楽しみ】に
繋がっていくヒントとなる。
『平等であるべき』
『不平等であるべき』
それは私の視点からの『平等』であるだけで、
正真正銘の『平等』ではないかもしれない。
でも、声に出して『不平等であるべき』とも言いたくない。
自分だったら……
自分の家族だったら……という視点から
日々試行錯誤しながら
人としての心(温かさ)を大切にしながら向き合っていきたい
そうすることで理想の『平等』が見えてくるはず。
【人類は皆平等】が理想だと
思っておられるんですね!
だけれども投稿を読ませていただくと、
【その人にとっては、これが平等】だと言われても、
客観的には【不平等】に感じられるのではないでしょうか?
後半で仰っておられることを、
もっと端的に表現されてみたら、
どのような言葉となるでしょうか?
私にとっての『平等』と
受け止める側の『不平等』の距離を
縮めていくことが大切なのかもしれないという意味です。
しかし、その距離や隔たりがフラットに
なりきれいに揃うことはないとも思います。
それは『平等』『不平等』の定規は人により異なり
又、取り巻く環境においても影響されるからです。
理想に近付けていくことこそ《福祉》ではないかなと思います
平均して関わるのは不平等ですね
平等に関わろうとすれば、濃淡は生まれますね
平等であるべきとは思うけど 人から見て
自己実現なんじゃない?ケアマネの計画に
自己実現は 10人いたら10人違う。
私は訪問先の利用者様に関わるので
他の入居者様にしたら不平等になります。
でも、施術をする場所がホールなら関わる
利用者さん毎に「個別性」が異なるので、
総て等しく平らかにはできません。
各々の個別性を認め尊重した上で、
「公平」に対応する事はできます。
「パーソンセンタードケア」と言うものですね。
利用者さま、ご家族が
不平等感を持たれる事は
往々にしてあると思います。
そうでなくとも、何であの人だけ⁉️って
普通に暮らしていても、常に自分への扱い(処遇)に
不満を持つ方が一定数いるように。
ただ、ここで提起されているのは、
関わり方の「すべきorすべきでない」であり、
それで云えば福祉サービスは
公平性のあるものなはずなので、
「平等に関わるべき」と云う結論でしょうね
何をもって、平等と云うかには見識の違いが
あるということでしょうか。
ただ、支援に限らず、何かを思考する時に、
べき論(んな言葉あるかしら )に陥ると
妙に頭カチンコチンになりがちだから、
適度な緩さも大事だな♪と、ここで色々学ばせて頂いてます
個別に関わるべきだと思います。
等と平等の違いですね。
言い方を変えると結果を平均するためには
サポートには差が出ますよね.
そう、結果が平等であるためには、
公平で個別的な対応が必要になりますよね。
必要な踏み台の高さがどうしても違う。
ただ、提供できる踏み台の高さの限界が事業所ごとにあるし、
必ずしも全員を一律の高さまで持って行けないという
現実はあると思いますけども。
1人1人機能もデマンドも環境も何もかも違います。
均等割りは全く不公平です。
公平にという方向は正しいと思いますが、
実現はほぼ不可能です。見る角度によって評価が全く変わります。
だからこそのチームアプローチ、
だからこその自施設の特色が重要だと思います。
利用者様お一人おひとり、介護度だけでなく、
人格もこれまで生きて来た人生やバックグラウンドも
千差万別なのだから、お一人おひとりに個別に
関わるのが良いのではないでしょうか。
御利用者様すべてに平等ではなく、
個々の生活されてきた過程、人生の経験、
性格を考慮してあげることが大事なのではないでしょうか、
一人ひとり、性格、個性があると思うので。
平等とは、結果の平等では無く。
機会の平等だと考えます。
つまり、障害の程度に関わらず、
憲法に定められた事柄は当然として。
障害の程度に関わらずあらゆる意味で、
社会参加をする権利は誰もが有している。
ただし、それには公共の福祉を守るという前提条件があります。
不平等とは、機会が与えられ無い事。
つまり、障害の種別や程度に関わらず参加の権利は有する。
ただし、公共の福祉に、反する場合、
制約を受けるのはやむを得ないという事だと考えます。
理想は全て希望に沿う様にですが、
人間は単体で生存しておらず
何らかの社会的コミュニティ(施設も含めて)に属する必要性があるので、
権利と義務が同等にあると考えます。
議題者より
平等/不平等
様々な意見や考え方、捉え方があると思いますし、
それら様々な意見から、皆それぞれに、
何かを得て新たなと行動することが大事なんだろうって思います!
ご意見くださった皆さん、本当に有難うございました
そして、今後も是非、多くのご意見を頂きたく存じます
平等と不平等
平均や均一、公平や不公平
いろんな表現でいろんな定義が出ました。
ある意味哲学的な考えですが、サービス提供において
哲学も必要な要素なのかもしれません。
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